47.ナターレ in ローマ 1996 真夜中のカプチーノ

1996年イタリア一人旅

1996.12.24(火)その①

今朝は部屋のみんなが起きる気配がなかったので、自分も起きず
9時過ぎまでゴロゴロしてた。

今日も部屋移動してねーって、
PAPAのオーナーに言われた。荷物をまとめて預けた。
Nさんと二人でBARへ。
カプチーノ、コルネット 1900リラ
ローマ・テルミニ駅周辺は北側がおすすめ。
スペイン広場へ向かおうとしたけど、雨が降ってきた
マックへ避難。(11:32 マック)

マックでNさんと別れた。
僕はスペイン広場周辺でショッピング、土産を買おうと思った。

それにしても日本人多い!
団体さん。

スペイン広場で座ってた。
日本人もたくさんくる。

面白いもので、日本人は日本人を避けて座る。
僕の周りはガラガラ。
ミサンガ売りもこない。
もう帰ろうとナツィオナーレ方面へ歩き出した時
見覚えのある顔がこちらを見てくる

あ!

フィレンツェ ドゥオーモであった韓国人姉妹。
異国で、旅で知り合った人と再び会うって、、、
これも、バックパッカー旅のだいご味?
今日はローマ観光で、これからスペイン広場へおそびに行くんだ!って。
こんな偶然は大事にしたい、だから何とか
明日一緒に飲めないか誘おうと思った、、、、、、。
言葉が通じない。ダメだった!残念。
こんなにも英語ができないことを悔やんだ瞬間はないよ。
っていうか、分からないっていって、彼女はやんわり断ったんだ。
そう、たぶんそう。
ていう風に、俺!がんばれって、凹まないように言い訳を考えた。

けどだめだー。
雨が降ってきた。強めの雨。
凹んだ心は、すぐには回復しない。
雨足がだんだん強くなってくる。いったん退却!ホテルへ逃もどろう!
(15:34 スペイン広場)

スペイン広場の階段で

HOTELに戻ってきた。
ベットの上に、スプマンテとケーキが置いてあった。
PAPAsオーナーからのクリスマスプレゼント。

Nさんは、HOTELにいなかった。

Nさんとのこの数日のたくさんの会話。

今Nさんは東京でいろんな人に囲まれながら刺激のある毎日を過ごしている
ということだった。

俺も関東へ、東京へ行きたいなって思った。
情報も、人も東京には集まっている。
いやいや、東京に行かなくても
名古屋で今住んでいるところで、やりたいことは実現できる
そうじゃないと、世の中おかしい。

Nさんが帰ってきた。
一緒にご飯を食べに行く。テルミに駅西側のトラットリアへ。
**智子の店(Tomoko tudini)の隣へ入る。
最初は日本語メニューが出てくる。
Nさんがいう。
日本語メニューは、サービス料も15%に、値段も倍くらいするから高すぎるらしい。
イタリア語メニューを求めるが無視された。
No グラッチェと断りお店を出た。
次に入ったお店。

アンチパスタ:魚介類とサラダの盛り合わせ
カルボナーラ、パスタ(Nさん)
鳥 Pollo 皮パリパリの肉ジューシー。
トマトサラダ
ワイン
合計7500リラ

お腹いっぱい。うまい。
イタリアではクリスマスは、
ケーキ以外にパネトーネというパンを食べる習慣があるらしい。

隣のテーブルでは、このパネトーネを食べてる。
そっかー、ベットに置いてあったのは、パネトーネだった。

今夜イヴに、パンテノン23:30からミサがあるらしい
(天井が空いた教会でミサ)
是非行きましょうって、外へ出たけど土砂降りの雨。

パンテノン行きは断念。

急遽テルミニ駅近くの教会へ。

24時10分前。どんどん人が増えてくる。
中では、パイプオルガンで静かに、じっくりと曲が流れてくる。
24時に向かって人が集まってくる。
雨の中、イタリアのナターレに向かって
子供から大人まで、教会に人はつまりお祈りが始まる。

そこらじゅうの家族で、
親が子供に話をしている子供たちは、真剣に話に耳を傾けている。
キリストの言い伝えを親から子へつなげているのだろうか。

そういった家族に囲まれながら過ごすイタリアのナターレ。
何にもしていないのに、良いことをしたような気分になる。

帰りにBARへ寄った。真夜中のカプチーノ。

24時をまわっても、お店は賑わっていた。
静かににぎわっていた。
ナターレを、それぞれで自分たちなりの時間を楽しんでいるようだ。
そんな大事な時間、空間に僕らもご一緒させていただく。
イタリアの人は、
BARを中心に、自分たちの生き方、スタイルを大事にしながら
背伸びするでもなく、楽しんでいる。

ただただ、、、格好良い。

帰ってからは、白ワイン。
今日も一日中じっくり楽しめた。そろそろ寝ます
(2:24HOTEL)

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