A3.25年越しの勘違い。深い落胆と、誰にも影響無し、のギャップが僕の心を襲う。

1996年イタリア一人旅

2021年12月24日
これまで勘違いをしたことってありますか?

仕事のミスって、勘違いが原因ってありますよね。
でもその間違いって、気づいた本人は、間違えたなーって思うくらいじゃありませんか?
どこで間違えたかも少し前の話だから、間違いの訂正って 腹落ちできますよね。

今日書きたいのは、
20年間越しの勘違いに気づいた瞬間。この複雑な思いについて。

ずっと信じてたものが、実は違ったってことありませんか?
誰のせいでもなく自分の勝手な記憶のすり替え、勘違い。
誰にも迷惑をかけることがない勘違い。

さらにその思いや経験が私の生き方の土台になっていると信じていたもの。

でもそれが勘違いだったと気づいたときは、ただただ虚しかった。

自分にとって大事なものが間違っていた!っていう重大な話なのに、

誰にも迷惑をかけない、他人から見たらちっぽけ話だということに気づ時。

私自身の想いと世間とのギャップが、私の心を静かに落ち着かせることができなかったです。

そんな話を書こうと思います。

今日日記を読み返していたら
とってお大事ことに気づきました。

私が好きな画家さんは笠井誠一さんです。
この画家さんの使う色が好きです。
一見無表情な色合いの中に、清く清々しさを感じたのがきっかけでした。

これとは別に、ブログにも書きましたが
ヴェネツィアの写真と、ある画家さんのヴェネツィア風景画と
まったく同じ構図で、バイブスを感じたんだと
感動した瞬間が1997年にありました。

この25年以上昔の記憶が見事に
ごちゃ混ぜになり

ヴェネツィアの絵を描いたのが笠井誠一さんで
その絵に感化され大好きになったんだという記憶にすり替わっていたことに

今日、さっきわかりました。

1997年の日記を読み返して気づいたんです。

笠井誠一さんの画集にヴェネツィア私が思い描いていた
画が見つからなかった理由がやっとわかりました。

彼じゃなかった。

25年前に購入した画集にもヴェネツィアはなかった。

僕は1997年7月の名古屋画廊でその絵に出会っていたんです。

藪野健さんのヴェネツィアが、それでした。

勝手に名前を挙げておいて、さらにその記憶が間違っていたという
web公開している文書ですが、この間違いに気づいたときに
どう訂正しよいか?

と仕事とは全く異なるミスの状況に、不思議な違和感を感じています。

仕事だと間違いがあれば、関連するユーザさんを洗い出しすべての方に状況説明して、、、
なんて面倒な事態になるのに、、

さっき気づいたこの私にとっての重大な間違い。

よーく考えたら、誰からもレスポンスがない勝手なブログ記事の間違いだったなって
自虐的な状態。

万が一、見てくれている方がたくさん増えるようなことがあれば
そんなときがあれば、この間違いを訂正すればよいですよね。

(1997年 名古屋画廊の絵画展履歴抜粋)

藪野「詩人の部屋から」を見て自分の写真と構図が一緒だったことにびっくりして
立ち止まった。

彼も同じ景色に立ち止まり筆を持とうと思った。私はシャッターを切った。

彼の絵を通じて半年ぶりにあの景色に出会うことができた感動。

あの景色に足を止めて揺さぶられる何かを感じた。
これが2度目の瞬間。

こんな絵の楽しみ方があるんだと思えた瞬間。
今日で、3度目になります。

ヴェネツィアのあの景色に足を止めて感慨ふけることができたのは。

3度目は、懐かしさと青春と、上に書いたような複雑な思いと
とっても豊かな感情が私にもあったんだと、一瞬熱くなることができました。

藪野さん、笠野さん 画を描きづけてくださってありがとうございます。

お二人の画が私の心を豊かにしてくれています。
この思いをお届けすことができていないのが残念です。

■僕はこの自分探しを通して、藪野さん、笠野さんんバイブスを感じることができる土台が出来たんだと考えている

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