2025.11月記
今から約10年前、
あるサントリーのCMに、僕はくぎ付けになった。
これは、前回の記事(第22話「今夜は、僕もデイドリームビリーバー」)からの続きだ。
あの時、20代前半の私が、嬉しいときも悲しいときも口ずさめる歌は、たったの2曲しかなかった。
そのうちの1曲が、前回の「デイドリームビリーバー」だった。
そして、もう1曲が、今回の話で登場する歌だ。
25年前の私が、シチリア島の夜空を見上げながら、静かに口ずさんだ――もう一つの歌の話を、これからしようと思う。
サントリーさん、ありがとう。あなたのおかげで、10年前の僕は、そのまた15年前の自分と再び出会い、勇気をもらうことができた。30代で、趣味も仕事も元気だったあの頃に、立ち止まって――無謀な旅へ出かけた20代の自分を思い出し、じっくりと自分の生き方を振り返る、充実した時間を過ごすことができた。
そして、さらに10年が経った今日。改めて私は青春を回想し、ゆっくりと美味い酒と、豊かな時間に包まれながら、幸せなひとときを過ごすことができている。
充実した思い出。それが、私自身の生きる原動力の一つでもあるのだと、改めて気づかされる。
「見上げてごらん夜の星を」
今、私がおすすめするのは、この曲をあのサントリーのCMで聴くことだ。当時、その映像に出演されていた皆さんが紡ぐ、素敵な歌を。
今夜は、この曲にかかわるすべての方々に感謝しつつ、25年前の私とともに、夜空を見上げようと思う。何万光年もの旅をしてきた、星の灯りを浴びながら。
○1996年12月13日(金) その③
そろそろシチリア島を出よう。そう思い、シラクーサの駅で時刻表をメモった。夜行列車に乗って、ホテル代を浮かせなければ。メモした電車の時間を眺めながら、市街へと歩き出した。
すると、昨日や今日の昼間とは、まったく違う景色が広がっていた。
賑やかだ。人が、たくさんいる。
でも、ローマのように皆が忙しなく歩くのではなく、まるでお祭りのような騒ぎと賑やかさだ。歩いている人々には、余裕がある。空間そのものに、余裕がある。
歩いていて、心が弾んだ。
けれど、その盛り上がりも、そろそろ終わりの時間なのだろう。人々は皆、僕とは反対の方向へ歩き始めている。
とりあえず、旧市街へ向かう。途中、皆がジェラートを食べているのを見て、自分も欲しくなった。チョコレートと、多分フレッシュラテ。買ってしまった。2600リラだったが、ここのジェラートは、上にたっぷりと生クリームを乗せてくれる。なんだか、得した気分だ。
足が、軽快に前へ、前へと進む。
橋を渡ると、そこは旧市街だった。海に面した道路に出る。そのまま、海沿いを皆が歩いている。
ふと、星が綺麗だと思った。
ローマでは、全く気づくことすらなかった。けれど、ここシラクーサの星々の輝きは、立ち止まるほどに、目に飛び込んできた。
足取りがゆっくりと、遅くなる。
流れ星だ。
星の輝きは、何万光年も前に放たれたものを、ようやく人は見ることができるという。
ならば、この流れ星の光は、何万年も昔の動きを、僕は今、こうして見ているということなのだろうか。
今まで見てきたルネサンスやローマの文化、シラクーサの遺跡の時代よりも、さらに古い、永い時の流れを感じる。真っ暗な中、急いでベンチを探し、このノートを取り出した。書き留めたい。そう思って、座って空を眺めた。
もっと暗い場所へ行き、星を見上げ、待つ。何万光年と旅をしてきた光を、待っているのだと、ふける。
すると、最初はオリオン座がやっとわかる程度だった夜空が、無数の輝きで溢れ返る。目が慣れてきたのだろうか。
ようやく、僕のところに星たちの放った光が、たどり着いている。
果たして、この輝きの元である光たちは――例えば、僕の目を捉えた、僕が見たものは、その何万光年もの旅で、終わるのだろうか。
彼らの旅に、終わりはあるのだろうか。
星たちは、自らの輝きを四方八方に放ち、放ち続ける。いつまでも、いつまでも。
お互いのテリトリーで、喧嘩したりしないのだろうか。どうして星は、点として見えるのだろう。
目がたくさんあれば、星の見え方は変わるのだろうか。
横並びだったら、星は点ではなく、線に見えたりするのだろうか。


……などと考えたりもしたけれど、でもそれだと、どうでもいいような気もする。なんだか、自分で凄いことを考えているんじゃないかと思いながら、「俺、今、一人旅を楽しんでます!」という時間が、これから始まる――その時に、
ポーン! ポン、ドーンドン!
大きな音が鳴った。僕は余韻を楽しむのを中断し、急いで音がした方へ走った。花火だと思ったからだ。
が、残念。もう終わってしまっていた。
「一人旅の演出は、うまい感じで重ならないんだなあ」なんて思いながら、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世通りへ寄ってから帰ろう。帰って、日記の続きを書こう。気を取り直して、ひたすら歩いた。
今度は、犬の吠える声がする。一匹ではない。何匹もだ。しかも、すぐそこだ。姿は見えない。野犬だろうか。
見通しの先との間には、柵がある。柵があるから大丈夫だろうと思いながら歩いたが、吠え声は止まない。むしろ、近づいてきているような……。
野犬に絡まれたら、ひとたまりもない。まして、噛まれたりでもしたら。
と、ビビって走って逃げる。戻る。
けど、吠える声が遠ざからない。
走ったことで、なんちゃらりんが出たのか
いつの間にか全力疾走!
遠くになった吠える声。久しぶりに怖い思いをした。
結局、さっきの星のくだりをかいたベンチへ逆戻り。
さっきの話の続きだが、、、、
それだとというより、それでもおそらく星は天の輝きをしているだろう
目が何個もあっても、並びがどうであれ
星の見え方はやっぱり点だろう。星は球体で一つ一つだから、
なんて、走った時に出たであろうなんちゃらりんも落ち着き
旅の醍醐味である、ナルシスト思考ゾーン状態も落ち着いてきた。
さて、帰路に着くとしまうか。(pm9:30 堤防にて)
帰りもとても綺麗な根のに囲まれてリッチな気分だった
なぜなら、片手にはあの生クリームたっぷりのジェラードを持ったから。
L2300
ジェラードのお店の通り、来た道と逆の道で帰る
ドゥオーモに遭遇。やっと見れた。やっと会えたという安堵感。
昼間探したけど、辿り着けなかったシラクーサのドゥオーモ。
これで心置きなくシラクーサを立つことができる。
ホテルへ着いて、下着を洗い、豆電球に干す。
そしてシャワーを浴びる。今日は自分だけが使用しているだけだからか
熱いシャワーを浴びることができた。
気持ちが良い。
にんじんとトマトを食べて明日の計画を立てる。色々考えた結果
明日からはミラノへ行き、月曜日にヴェネツアへ行こう。
金曜日にはフィレンツェへ行くというコース。
明日はpm3:10ミラノ行き(到着予定:am9:00)でシラクーサを出る。
クリスマスの時期だからか特にシラクーサの夜はネオンが綺麗だった。
街全体を、通りだぜタイをネオンで飾っていてとても賑やかだった。
街の人もセコセコしておらず昼間はどこかで過ごし夜になると
とこから遠なく集まってきてみんなで楽しむ。そんな街のようにおもった。
人は温厚で物価も安かった。
適度に栄え、人情味あふれる街だった。
僕はとても気に入ってしまった(でも宿が凄く綺麗だったから好きになれたのかもというのも、否定できない)
明日は3時から、列車に乗りシラクーサのシチリア島を見ながら
旅移動を楽しみたいと思う。
今は上着を買っておくかどうか迷っている。それだけが、シラクーサでの悩み。
(気に入った上着が少し安めで売っていたから買おうか迷っている)
P.S 電車ごとフェリーに乗る所が見れるかも.今日のお金L20000弱.
ミラノ→ヴェネツィアの次はローマのパパジョルマーノのところへ行って5泊くらいして
毎日フィレンツェへ遊びに行くというのも良いなと思う。
それかローマの安宿に泊まり次の日は夜行でどこかへ行き、そのまま夜行で
あえってくる。そしたらまた安宿に泊まって、、、、とすると
1サイクルを3でも4日でもできる。
これは良いかも、節約できる。
その安くできた分を、お土産や服に使うっていうのも良いなと思った。
コートに靴に時計、欲しいものだらけである。
親族、友達みんなにワイン、時計、、、、
考えれば考えるほど何通りもの旅行パターンが組めてと楽しめる
ことは楽しめるのだが、身体が持つかどうかが問題。
それでは明日からのハードスケジュールに耐えられるように
今日も寝ます。シラクーサ、バイバイ
(am 00:40 ベット)
見上げてごらん夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せをうたってる
見上げてごらん夜の星を
ボクらのように名もない星が
ささやかな幸せを祈ってる

―― 旅する読書人より 2026.07.24
流れ星を見上げながら、何万光年も前の光に思いを馳せる。
その時間が、その夜のシラクーサを特別な場所に変えていたんだと思う。
深い思索のあとに、走って逃げる野犬や、買ったばかりのジェラートの話が続くところが、とても人間らしくて好きだ。
きっと、その夜の星は、今も彼の旅の一部として、静かに輝き続けている。
■この旅の始まりはこちらから

■この旅でのシチリア島はここから始まった!


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